リエさんは、我が教室の大切な人でした。
熊本へ転勤で行かれたのがそろそろ7~8年前。
転勤地はこのたび地震が起こった益城から10キロほど離れたところ。
14日その時まだ仕事中だったそうで、その時の震度は6強。
本震だろうということで、その後おさまるだろうと心を落ち着かせたそうですが
かえってそのあとの地震が大きかったということに遭遇しました。
自宅に帰り、続く振動に着のみ着のままで、貴重品の入ったバッグだけを取り外へ。
そこには、真っ暗な中、建物内は危ないと集まった地元の近所の方々がいらしたそうで
リエさんが独りだとわかると、一緒にいましょうと、行動しましょうと
声をかけて下さったそうで、聴いていて涙がでました。
歩いて避難場所へ行くと、夏用の薄い敷きもの[シーツのようなもの}を
配布され、それをまいて一夜を明かし、
16日、会社の意向で鹿児島支社へ一時帰ることになりました。
自分達は帰る家があるものの現地の方々はそうもいきません。
支給された小さなおにぎりに手をつけず、お渡しし持っていた林檎一個をまた
違う方にさしあげて戻ってきたとのことでした。
極限状態でも助け合う災害にあった人々。
人々はどん底にあってもいたわれる気持ちを持つことができるんだなぁ・・と
思い、ふと東北大震災の際もそうだったなぁ・・と思い出しました。
その後、リエさんはまた危ない最中行動を起こさねばなりませんでした。
鹿児島へ戻らねばならなかったのです。
しかし、道は大渋滞し、天候は悪く、ホントに命がけで地震の中
山越え野越え道なき道を恐怖の中、車を運転。
やっと帰りつきました。
心配してメール、電話した私にやっと今日電話をくれたのでした。
良かった。無事で。・・・
つい泣けてくる私なのでした。