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戦争の傷跡・・・教会で

リトアニアは第2次世界大戦前には独立国だったにもかかわらず、


ラトビア、エストニアと共に                 


ソ連に併合されてしまいます。1940年のことです。                                         

そのご50年を経て、1990年に独立宣言をするや否や、


ソ連共産党の保守派、軍部を刺激し1991年、1月12日から13日にかけて                          

ソ連軍の戦車が、放送局を守っていた民間人の群衆に発砲、攻撃。                          


13人死傷。140人以上負傷という有名な血の日曜日といわれる


痛ましい事件がおきてしまいます。



     以上、文献より。


事件と言うより、他国からの攻撃の結果ですね。              


1991年って言うと、日本は戦争のせのじも聴こえない日常。                          


島国である日本は、戦争に負けたといっても海を四方に囲まれ、                       


隣国から侵略されたり攻撃したり、されたりといったこともおきず、それにくらべれば  
   

ヨーロッパの国々は過去どの時代も、息をつめて命を削るほどの緊張感と不安のなかに                


あったといっても過言ではなかったのではないでしょうか。                             


そのことに今現在、EUの首脳達は、常に過去と向き合い反省し、お互いの傷みを              


わかり合い、また分かち合い、許し合い、今後二度とふたたび、私達は                        


この悲劇を繰り返さないようにしましょうと固い結束を誓って集まり、現にそれを実行しています。             

日本は、島国で独自のスタイルで発展し、他国の侵略も近年うけませんでした。                     

先の戦争から69年、戦争はまるで他人ごと、なかったかのような風です。                             

でも、こうしてヨーロッパを旅してみると、そうではありません。                             


ところどころに破壊された建築物が修復不可能となってのこっています。                   


主に教会がそうでした、ソビエト共産党が信仰を許さず、教会は破壊されつくして                  


しまったのです。


共産党のほかは、信じてはならなかったというわけです。                                


これは、リトアニアにおける1991年までのことですから、日本の共産党さんとは                 


一切、関連はないのでおことわりしておきます。念の為。                             


さて、リトさんが、リトアニア初日に案内してくださった風景。                               


ご覧ください。






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この川沿いのいくつかの素晴らしい教会・・・


数百年の歴史をまとい敬虔な祈りの場であった教会はおごそかで、胸にせまるものがありました。         

ある大きな古い教会は、先の大戦で破壊されつくし、見るも無残な姿でした。                      

入口には、年おいた僧侶の方お一人。静かに教会を守ってらっしゃいました。                 


侵攻してきたソ連軍により、高い高い天井は、飛行機から飛び降りる際の訓練用として             


穴をあけロープが付けられ、壊されたままになっていました。                                    

修復には、莫大なお金がいるため、今なおそのままになっているということです。



このように一たび戦争となれば、その国のその民族のアイデンティなどは、踏みにじられ           


心のよりどころまでもが握りつぶされてしまうのです。                                   


説明を受けながら、


あの明るいリトさんが母国に対しても言うに云えない想いを抱いていたことを                   


初めて心の底からわかったのです。  


 そして、このようにそのままに戦争の傷跡が残っているという事は、                        


厭がうえでも、戦争の恐ろしさを知ることになり、平和を求める気持ちが絶えず、                 


持ち続けられるという事につながり…戦争を憎む心が生まれるのでは・・という気がしました。         


日本でも、戦争の記憶が薄れない努力をもっともっとしないとならないのでは・・と                


旅して思います。                                                          

教会内部の写真は、撮れませんでした 。                                        


とても観光客気分でこの痛ましい教会の撮影は出来なかったためです。                    


日本の若い世代の人達にも見てほしい、


そして憲法を信じられない手法でないがしろにした、人々にも見てほしい・・と                   


想ったのでした。    
by sheri-sheri | 2014-08-23 15:30 | リトアニア旅物語
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